集団ストーカーの擬態性とパースペクティズム



集団ストーカー犯罪というのは、周知されている通り、被害者に対して多大な人権侵害、無数のプライバシー侵害、自殺強要ストーキングといわれるほどの精神的苦痛を与える行為、24時間365日一秒も休むことない嫌がらせ行為の連続、生活破壊を行う組織的な犯罪であり、明らかな反社会的加害である。その反社会性に反して、加担者の数が被害者の社会生活全てを取り囲むほど膨大になり得るのは、集団心理や利害に起因する問題もあるが、その手法の「擬態性」にもある。



例えばアンカリングという加害行為は、被害者に対して複数の加害加担者が特定の短い動作や発話を集中的に(一日5回を数日でも条件付けの効果がある)向けることで、その特定の動作や言葉を気にさせて、不安感を伴う強い念慮を植え付け、被害者が以後恒常的に些細な動作や発話に対して被害感覚を持つようにしむける手法であるのだが、この動作や発話というのは一回当たり、数センチ、1秒で済むことがある。このことから、加害者や加担者はあたかも何気ない普通の社会生活をしている体を取りながら、常に反社会的である加害行為を被害者に行うことができる。また、仄めかしと呼ばれる加害行為は、主に被害者のプライバシーに関わることや盗聴に伴う追跡を気づかせることを囁くことであるが、これも無数に行われれれば1回あたり数秒で十分な加害になりうる。昨日食べたご飯のおかずを、通りすがりの人が1秒こっちを見て2秒囁いてくる、というのが5回でもああれば得体のしれない恐怖感に陥るが、盗聴とその内容を加害者へ伝える連絡網と加害者を出現させる手配があればよく、それだけで、社会表面上では何事もないように相当な苦痛を与えられる。(手法と具体例については↓の周知チラシと→https://llrs7.blogspot.com/2018/08/blog-post.html を参照)




集団ストーカーは組織犯罪であるが、その犯罪組織が複数あること、及び一般市民を加担させていることが、誰が加害者であるかを不明にさせている。会社のある部署の5人と、別の派遣会社の5人がチームを組んだ時の10人も組織といえるが、同様に集団ストーカーの加害者というのはその時々、その場所によって、成員の所属が複合的で同じ場でも数百人が別の立場と動機を以って加害行為をしているということがある。そのような形態での組織犯罪を社会営為上で可能にすることの一つは、上述のアンカリングや仄めかしについて書いたことの通り、一つ一つの加害行為が被害者以外からは些細に思えるほどの、個々の加害行為の目立たなさであり、数百の加害行為が社会的行為に被さっていても明白な犯罪性と言える動きが殆ど見えないことである。

加害者や加担者の立場や思想はそれぞれであるが、私の経験上、一部の加害者は明らかに社会生活よりも加害行為をすることを優先させており、例えば電車の乗客を「装って」(実際に乗客として乗車券を買っているのだが目的が犯罪加担であるため)、被害者を追跡しては、アンカリングやプライバシーの仄めかし、音を立てるなどのノイズキャンペーン、不愉快な動作を行っている。労働せずに日常的に集団ストーカーを行って生活をしている人たちのことが「プロ市民」と呼ばれることがあるが、彼らは物質上は日本社会上に存在しながら(推測であるが恐らくどこからか生活費を受け取り)「市民を演じながら」市民性に悖る加害行為を日常として行っているともいえるほどである。

プロ市民のような加害常習犯でなくとも、被害者が属している企業においての他の社員たちも加害行為を行うことがあり、しかもそれまで全く集団ストーカー犯罪加担をしたことがなくても、被害者がいれば、加害者や加担者になるのだが、仄めかしだけでなく、業務上のハメも行われることが多い。この場合は、業務の手続き上ありえて、マニュアル上は非常ではない範囲内で、明らかに被害者の過失になるように、または過失を誘発するように、業務上の事柄を配置させることが頻発する。この企業内の集団ストーカー加害行為も、加速すればするほど、もはや被害者の周りでは企業や顧客が元来要求している仕事よりも、集団ストーカー加害のほうが、遥かに大きな比重を占めることさえあり、ここまでいくと会社の業務を、社会的運営を「纏って」組織犯罪が現象しているというほどである。

酷い事例では、事務仕事で客が全て従業員である被害者に嫌がらせをするということや、オフィスが丸ごと加害行為のために設営されたりすることさえある。電話が電話である限り、従業員は電話対応をしなければならず、その内容が半分くらいは業務に関することであれば対応する義務があるが、残りの半分の嫌がらせや過失誘発を加担している客は目的としているのであり、業務に関することは単なる架空の案件であるので、もはや客と企業の関係に「擬態して」反社会的行為を意図し実行している。オフィスを丸ごと設営するというのは大がかりではあるが、加害の目的、あるいは被害者へ苦痛を与えるのが二次的であるところの別の闇取引、違法な人体実験や社会工学実験、思考盗聴器の不特定多数への試し打ちなど、目的によっては、数か月オフィスを借りるということは、犯罪組織の形態によっては利害上の収得があり、ここまでいく事例は稀であろうが、この場合、会社の取引や売買のサービスや商品は建前でしかなく、会社の看板やパンフレットも名目でしかなく、資本主義社会に「寄生して」別の悪徳商売や違法実験をしている、このような極端もある。

また、集団ストーカーによる加害行為は部屋の外だけでなく、パソコンやスマホの画面にも出現するのであるが、被害者への直接的な加害でいえば、主にプライバシー仄めかしや間接的な誹謗中傷などが挙げられる。SNSのアカウントは情報工作などを行っている業者が持っていることがよくあるが、体不特定多数の情報工作を行うだけでなく、明らかに特定個人への精神的苦痛を与える目的で行われる投稿もある。アカウントごと半分くらいは被害者への仄めかしや中傷を目的としているものもあり、この場合もプロ市民が通常の市民を装いながら加害行為に明け暮れるのと同様、ソーシャル・ネットワーク上の個人に「成りすまして」SNSの目的外のことをし続けている。悪質な例でいうと、被害者が先ほど聞いた曲、今飲んでいるジュース類が、ほとんどそのまま知らないアカウントのタイムライン上に表示されるということもあるが、第三者が見れば単に曲やジュースの名前が載っているだけという体である。

もちろん集団ストーカーに関わる情報工作員は対被害者への精神的苦痛だけが目的ではなく、主に集団ストーカーの各種加害、その実態を類似で深刻度が低い事象で表現しあまり悪質性のないことに思わせたり、また集団ストーカーにおいて頻発するテクノロジー犯罪という前代未聞の凶悪犯罪を、嘘で実態を隠し似非科学で信憑性のないものにしたりと、そのようなことを行っている。悪質な例でいうと、「偽被害者」という集団ストーカー被害者を名乗ったアカウントがあり、毎日死ぬほどの苦痛に耐えている被害者の被害事情を、架空かやらせの被害記録によって、加害をさほど反社会的でないように思わせたり、究極の人権侵害においての倫理を意図的に茶番のようなコントで軽いものにしようとしたりして、SNS上の集団心理上で集団ストーカーの反社会性と罪悪性を麻痺させている者、また架空かやらせのテクノロジー犯罪被害を意図的に嘘を並べた断片的な科学で投稿しテクノロジー犯罪に関してミスリードする者もいる。


集団ストーカー関連の情報工作に関わる文脈以外の、インターネット上での政治や思想や文化についての場でも、集団ストーカーに関わる現象が起こっていて、規模が大きく加担者が大多数いる被害者であれば、その人の盗聴内容とその加工をネタにして、意見や表現が載っていることがあり、これはプライバシー仄めかしや中傷という被害者への効果だけでなく、被害者に関して捏造的に悪評流布された結果である集団心理上のイメージを利用した思想誘導などを狙っていると思われる。また被害者個人に属するものを使わずに、集団ストーカー全般についてミスリードするものもあり、特定の思想や芸術のカテゴリー内の成員として表現を一定以上行いながら、同時に他意を持たせて意識上意識下問わず、集団ストーカーに関するもの、例えば「秘密警察」などについて、印象や意味を操作することも行われている。



このように集団ストーカーは社会の運営に擬態したり寄生したりしながら、裏から被害者や加害者周辺を動かし、さらにそれによって生まれた事象やイメージの偏りを利用して、不特定多数の心理や商品を動かしているが、その多相性は被害者が視界を開こうとすればそれだけ、事象の偏向が集局してきている当の被害者であればあるほど、知覚や認識できる可能性があるものである。集団ストーカー加害は社会上の諸事象に擬えられて行われるが、一つ一つの行為が加害としての差分と成りえるところの通常からの逸脱性を、単に苦痛として受け取るのではなく、加害の意図、情報工作の意図を暫定的にでも解釈しておくことによって、むしろ情報工作員より加害実態であったり、集団ストーカーと社会一般の関連を探ることに繋げられる。



道端の加害者は1日数回しか加害行為をしないが被害者は多ければ数百回一日で加害行為をされ、情報工作員は集団ストーカーについて一日100投稿しかしないとして被害者は休みの日(テクノロジー犯罪を強度に被っていない限りは)、一日で700投稿を読もうと思えば読める。しかも被害者は読むものの一部、されることの全てが自分を向いており、読むものも多くが、自身が1~2番目に関心があるところの、集団ストーカー・テクノロジー犯罪関係なので、実存や生存に強く関連し、解釈の強度や多様性は増しうる。集団ストーカーの特徴の一つである事象の多相性や逸脱性の渦中に置かれているため、健全な社会生活が半壊されていることを割り切ってそれらを偏りなく洞察し、誤情報に騙されなければ、健全な社会営為と違う動機で動いている集団ストーカー・テクノロジー犯罪網を、幾らでも批評できる可能性がある。そういう事に起因しても、また被害の当事者であることからも、被害者であればあるほど告発力を持ちうるのが人間社会というものである。(が、それを困難にしているのがテクノロジー犯罪であり、意識が朦朧としたり身体に痛みが走ったりするようなテクノロジー攻撃の渦中にありながらどうやって批評力や告発力を持ちうるかはかなり難しい課題である)





上述の通り、集団ストーカーは社会生活に擬態しながら蔓延っているため、その誤差、その誤魔化し、情報操作、仕掛け等により、物事の諸関連が多相性を帯び、被害者にとっては社会性においても人間性においてもそれぞれの物事の意味が崩壊しかねないことさえあるものだが、9割以上の人の属するところの健全な社会生活や常識感覚を忘れさえしなければ、集団ストーカーがもたらした意味のネットワークの歪みを再解釈しその異常性に対する批評と変えることは可能である。加害の擬態性や虚構性がむしろ被害者にとっての社会実態に対する解釈可能性を増大させ得るのであり、それを可能にする哲学は多々あるだろうが、一例としてニーチェのパースペクティズムについて私が昔書いたものを引用しておく。

--------------引用開始------

http://blue6glass.blog.fc2.com/blog-entry-23.html

あらゆる真理、ニーチェによれば神さえも、もちろんもっと卑近な庶民の価値観や頭の固い学者の概念の類でも、力への意志という「意味を知らずただただ支配するために動き回る素子」の相互関係の解釈結果で生まれたものであり、その解釈作用ではじめて意味が生まれて、ある力への意志の集合が他の力への意志の集合を「支配したときにそれは意味だけでなく価値をもつ」ことになる。ここがニーチェの認識論と価値論の接点だともいえよう。しかしこここで重要なのは、「歴史的にあるいは世襲的に支配的なだけのつまり一般的でしかない価値観であれ習慣的でしかない概念体系であることが価値をもつとは限らないの」である。

---------------引用終了------

集団ストーカーおよびその情報工作は社会の価値体系に対し、その意味や作用の諸々に擬えて別の反社会的な価値体系を被せようとしたり、事実と類似性のある虚構を仕掛けて闇ビジネスや違法な人体実験を偽装で覆いながら駆動させているが、その社会一般へのテロリズムを徹底して批判するなら、社会性と犯罪性の差分を認識した上で、法と秩序と倫理を再解釈しなおす必要があるように思われる。なぜなら、それらを破壊しながら社会にテロリズムがその凶悪性が隠されつつ横行しているのが現実であるから。そのテロリズムによる現秩序に対する侵攻を阻止するためには、社会自体を再解釈して新しい秩序が形成されなければならず、現時点での法と倫理では凶悪性を撲滅できていないので、法律も倫理も新しく生み出されなければならない。

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